ここには考作について模索中のことを書きます。
考作の原理探求として、人の体の中で何がどうなるから考えが浮かぶ、つまり思いつくのか。->考える仕組み
アイデアをどんどん出せるようになるためには、アイデアが出にくい原因を見つけてそれを取り除くのが第一歩だと思います。->アイデアが出にくい原理
そのために私自身を題材にして、アイデアが出にくい原因を探ってみようと思います。
意識については迷想室で時々、迷想していましたが、もう少し掘り下げて考えることにしました。->意識について
人が間違って考えるのは何故か。
人が何かを考える時に答えを思いつきやすくするには、どうすれば良いのか。
今までに先人が提案した様々な思考法は、なぜその方法で考えると答えを思いつきやすくなるのか。
他の人も同じかどうかはわかりませんが、私の場合は、考作の主要部である「頭の中で考えを作り出す過程」を意識して行うことが出来ません。
つまり、課題を意識すると、後は無意識のうちに頭の中で考えが作り上げられて、その結果が自分の考えとしてフッと浮かんで来たかのように意識できるようになるのです。(実は、このように考えているのは私だけではなく、クリストフ・コッホの著書「意識の探求」にも記述があります。)
課題を意識する ⇒ 無意識のうちに
頭の中で考えが
作られる⇒ 考えがフッと
浮かんできたかの
ように意識する<-意識できない部分-> 課題を意識すると、頭の中で考えを作り出す過程では、多分次のようなことが無意識のうちに行われているではないかと推測しています。
- 先ず、その課題に関連する記憶が複数引き出されます。
- また、どんな考えを求めているのかという目標も作られるようです。
- そして引き出された記憶を組み合わせて、課題に対する考えを作ります。
- この組み合わせは、引き出された記憶を手当たり次第に組み合わせているのではないかと思います。
- 次に、作った考えが目標を満足するものなのかを評価します。
- 作った考えが満足いくものでなければ、また記憶を引き出して別の考えを作り評価します
- 満足いかなかった考えは、意識できないので存在しなかったことになります
- 頭の中では何度も作り直しているのかもしれませんが、作った考えに満足すると、作った考えと満足度の両方を意識出来るようになります。
こうして意識上に考えが浮かんでくると、この考えは満足のいくものなのかを意識的に評価しようという意識が働きます。
ここでは、考えを評価するという課題を意識することになるのです。
そして評価するという課題に対して、無意識のうちに考えが作り出されることになります。
このときの意識的に評価しようというときと、意識できるようになる前に無意識的に考えを評価するときでは、評価基準が違うようです。
そのため考えを作ったときには満足する考えだと評価して意識できるようになったのに、意識的に評価しようとしたときには、この考えは満足するものではないという評価が無意識のうちに作られて、それが意識上に浮かんでくることもしばしばあります。
このように、「頭の中で考えを作り出す過程」については、意識してできることではないので、そのやり方を意識的に直接修正することが出来ません。
したがって、意識的にできるのは、「課題を工夫すること」、「考えるための予備知識を工夫すること」、そして「出てきた考えをどのように扱うかを工夫すること」になります。
人類が誕生してから気候変動や猛獣の襲撃などの危機から逃れて、現在まで生き延びてきたのは、そうした環境に適応するように脳が進化してきたからだと考えると、脳の働きを理解しやすくなります。
様々な状況で身を守るための適切な行動をとれるように、脳の意思決定機能が発達してきた、と考えるわけです。
例えば、見知らぬ動物に出会った時に、どんな行動をすればいいかという意思決定の場面で考えてみましょう。
見知らぬ動物に
出会う↓ 相手が近くにいる
ことを認識する↓ 形、大きさ、色、
におい、距離を知る← 重要なことに
注意を絞る↓ 今役立つ記憶を
思い出す← 過去の記憶 ↓ | 危険だと認識する | ↓ | たぶんうまくいく
であろう方法を
思い出す← | ↓ | 逃げる ← ↓ ↓ ↓ ↓ 走る 木に登る 隠れる ← ↑ まずまず
なら採用先ず相手と出会っているという事、つまり相手が近くにいる事を認識する必要があります。
そのために目で見たり、耳で音を聞いたり、匂いを嗅いだりして相手の存在を認識する機能があります。
相手がどんな形、大きさ、色、匂いなどであり、どれくらいの距離に居るのかを認識するために、目や耳や鼻から入力した情報を、それぞれの感覚器官と脳が連携して、非常に複雑な知覚処理をしている事が分かっています。(知覚:環境から情報を取り込む機能)
また、色々なことに気を取られていては、素早く行動できないので、重要なことに注意を絞る機能があります。(選択的注意)
そして認識した相手が、危険なのか、自分の餌になるのかを見極めて、逃げるのか、捕獲するのかを判断することが必要です。
そのために脳には過去の経験を思い出して、危険な相手かどうかを判断するために記憶機能があります。
この判断を早くするために、覚えている記憶のうち、現在の状況で役立つものが自然に思い出せる仕組みもあります。(記憶の特徴:利用可能性、状況の類似性、統合性)
逃げるために、ただ走るのか、木に登るのか、死んだふりをするのかなどの選択肢を考える時、あれこれと筋道を立てて考えていては時間がかかるので、確実かどうかは分からないけれど、"たぶん"上手く行くだろうという選択肢を思い浮かべることが出来ます。(ヒューリスティク)
色々な選択肢があるときに、どれにしようかと迷っていては、手遅れになってしまうので、すべての選択肢を比較検討するようなことはせずに、手近な選択肢の中にまずまずのものがあれば、それを選ぶという特性もあります。(満足化原理)
このような見知らぬ動物に出会ったときの意思決定というのは、個人の場合を想定していますが、人間は集団をつくり、みんなで力を合わせることによって生き延びてきた動物です。
したがって、集団の中で他人とうまくやっていくためにも、脳が発達したと考える人もいます。(社会脳仮説)
考作という立場で捉えると、上にあげた生きのびるための機能が、かえってアイデアが出にくいことや、考え間違いをする原因にもなっている事があるようです。
したがって、これらを詳細に理解することが、考えやすくする工夫につながるのです。
これらの機能が脳の中の、どのような仕組みで実現されているかについては、認知心理学、認知科学、認知神経科学などで研究が続けられていますが、未だ解らないことだらけというのが現状です。
しかし、実現している仕組みは解らないけれど、脳がどんな意思決定をする傾向があるのかを知れば、ある程度の工夫は可能です。※ この項では、放送大学の教科「認知心理学」の放送授業と印刷教材「認知心理学」が、大変参考になりました。
前々項(案を考えるのは無意識)では、無意識のうちに頭の中で考えが作り上げられていて、考えを作りあげる過程についての推測をしました。
「無意識のうちに頭の中で考えが作り上げられている」というのは、私に限っていえば実感しているので、本当であろうと思います。
では、そのように考えを作り上げるのは、体のどこで行われているのでしょうか。
現在では、人の考えは、脳の神経ネットワークで作られているとういう考え方が有力です。
人の脳には、百億~二百億個の神経細胞(ニューロン)があると言われています。それらの神経細胞がネットワークを作っていて、その中で次々に信号を伝達する事によって、「考える」ということが実現されているらしいのです。
脳にある細胞としては神経細胞の他に、グリア細胞があり、神経細胞の10倍もあるそうです。そしてグリア細胞も神経ネットワークの活動に影響を与えているらしいとされています。
左の写真は、私の脳のMRI画像です。目より上のおでこの辺りを上から見ています。画像の上が顔の前です。
脳がちょっと萎縮しているそうですが、今のところ問題はありません。
百億~二百億個の神経細胞(私の場合はもっと少ないかも)があるところは白く映っています。神経細胞は非常に小さいので、この画像ではネットワークを構成していることまでは分りません。神経細胞のネットワークには、光や音、圧力などを検出するセンサーの役目をする感覚受容器と呼ばれる細胞からの信号が入力されます。
一つの神経細胞は数千から一万と言われる他の神経細胞からの信号を受け取っていて、受け取った信号の条件が整うと、その神経細胞から別の神経細胞に信号が伝達されます。
脳からみた外部の状況を、目・耳・鼻・口・皮膚や体内にある感覚受容器が検知しており、その情報が神経ネットワークの中で様々な判断材料に使用されているのです。
百億個以上ある神経細胞は、それぞれの役割があり、似た役割の神経細胞は近くにあるようです。
信号を伝達するだけでなく、何らかの情報を記憶する神経細胞もあります。
人が特定の何かを考えているときに、脳で活性化している部分がどこなのか、実験的には分かっています。
例えば「言葉を理解しようとしているときは、左半球側頭部のウェルニッケ野と呼ばれる部分が活動している」といったことです。
また、脳の特定の部分に障害があると、その部分に対応した思考や行為ができないこともわかっています。
また筋肉に信号を出力して体の様々な動きを生み出す神経細胞もあります。
こういう事例については、認知神経心理学などの書物にも数多く紹介されています。
このように、目で見て耳で聞き、肌で感じることで、自分の外界の状況を理解し、必要に応じて目や口、手や足を動かして生存に必要な行動をとることは、神経ネットワークが重要な働きをしているようなのです。
物事の理解や認識、評価、決断といった「考える」ことも、神経ネットワークが大きくかかわっています。
以上は「考えを作る」ことも含め、生存に必要な行動をとる時の、神経ネットワークの役割に関する説明ですが、そこでは意識については触れていません。
逆にいえば、そこに意識がなくても、言い換えれば無意識でもできることなのかもしれないと言う事です。
無意識に考えを作り出す仕組みは、神経ネットワークの研究によって解明できるかもしれません。
解明できれば、同じように考えを作り出すロボットを作れるかもしれません。
ところが私には、見たり聞いたり、感動したり怖かったり決断したりしているという意識があります。
感覚的には、自分は考え、理解し、決断することを意識的にやっていると思えるのですが、そうではないことがベンジャミン・リベットによって実験で確認されています。(「マインド・タイム」)
指を動かすときでも、「動かそう」と意識してから神経ネットワークが動き始めるのではなく、意識する前に、まず神経ネットワークが筋肉を動かす信号を出すのだそうです。その後、「動かそう」という意識が表れて、さらに遅れて実際に筋肉が動き出すのだそうです。
しかし、そうした自分が理解したことや、自分が体を動かしていることを、どうやって意識してるのかについては、何もわかっていません。
私は、自分が生きているというのは、自分の神経ネットワークが活動していることであって、その活動のごく一部分が意識できるようになっているようだと思っています。
以上のように考えを作っている過程は無意識のうちに行われているようです。しかしそれを意識できなくても、「自分のどこでどうやって考えを作っているのか」という知識があれば、「何かを考える時に答えを思いつきやすくする」ための工夫はできそうです。
「アイデアが出にくい」と言うとき、一概に同じことを言っているのではなく、いろいろな意味で使われています。
例えば、課題について考えているときに「何も思いつかない」という意味であったり、「課題に関係ないことしか思いつかない」という意味でも使います。また、「課題に関係することを思いつくけれども、求めているようなアイデアではなかったり、くだらないアイデアしか思いつかない」ということもあります。
こういったことは、日常の私的な状況でも、仕事関係のことでも、学業などでも起こることですが、何とかしてアイデアをどんどん出せるようにしたいものです。
そのためには、アイデアが出にくい原因を見つけてそれを取り除くのが第一歩だと思います。
ここでは私自身の経験を題材にして、アイデアが出にくい原因を探ってみようと思います。
1.何も思いつかない
「思いつく」ということは、その思いや考えを意識できるようになる、
いい換えると、「その思いや考えが自分の頭にある」と言うことを自分自身がわかるということです。
その意識するという現象は、脳の作業記憶(ワーキングメモリ)と深い関係にあるようです。
そして作業記憶が扱える記憶の量には限界があるといわれています。
ところで課題について考えているときに「何も思いつかない」と思っているのは、何も考えが浮かんでないのではなく、実は「何も思いつかない」という考えが頭に浮かんでいるという事なのでしょう。
「何かアイデアを出そう」という思いと共に「何も思いつかない」という思いが共存していて、それだけで頭が、つまり作業記憶がいっぱいになっているのだろうと思います。
そのために、別の考えが頭の片隅、つまり作業記憶ではない記憶領域にあっても、それが作業記憶に入る余地が無いので、考えとして浮かんで来ないのです。
本当に頭の片隅にもアイデアが作られていないかもしれないけれど、実はアイデアが作られているかもしれないのに、そのアイデアが浮かんで来る余地がないのかもしれないと言うことです。
なぜそう思うのかというと、休憩したり、アイデアを出そうとするのをあきらめて別のことをしようとしたときなどに、フッとアイデアを思いつくことがよくあるからです。
つまり休憩したり、アイデアを出そうとするのをあきらめて別のことをしようとしたときは、頭の中を独占していた「何かアイデアを出そう」という思いと「何も思いつかない」という思いがなくなることで、アイデアが浮かんでくるスペースが生まれたのではないだろうかと思うのです。
そういうときでも、本当に頭の片隅にもアイデアが作られていなければ、やはり何も思いつかないのですが、もし作業記憶に入ってこれなかったアイデアがあれば、空いたスペースに入ってくるのかもしれません。
頭の中がいっぱい 休憩時 作業記憶にアイデアが入り ・アイデアを出そう
・何も思いつかない⇒ 作業記憶に
ゆとり⇒ アイデアが
フっと現れる!!××××××××××××××××× ↑ 頭の片隅に作られたアイデア
本当に頭の片隅にもアイデアが作られていないとすれば、その原因として考えられるのは、「本気で考えていない」ということがあります。
なぜ本気で考えないのかというと、「課題に興味をもてない」「他に気になることがある」「どうせ新しいアイデアなど出るはずがないと思い込んでいる」などが原因で意欲がわかないからということが多いと思います。
三つ目の「どうせ…出るはずがない」というのは、2、3の自分でもありふれたアイデアだと思うようなことを思いついたときに、誰が考えてもこれ以上のことは出てこないだろうと決めつけてしまうことです。
ワークショップなどで、興味がない課題を与えられて時間内に解決策を発表するような場合には、このように意欲がわかないことがよくあります。
さらに、「課題に関連した知識がない」ということもあるでしょう。本気で考えても無いものは出ないのでしょうがないといえばしょうがないのです。
課題について考えているときに「課題に関係ないことしか思いつかない」ことの原因は、「意欲がわかない」や「課題に関連した知識がない」ということもありますが、さらに「課題に関連した知識はあるが、それを頭の中で課題と上手く結びつけられない」ということも考えられます。
せっかく持っている知識が課題と結びついて思いつきとして出てこないということです。
また「課題に関係ないこと」というのが、「本当に関係ないこと」の場合もあれば、実は「関係ないと思っているだけ」の場合もあるでしょう。
たとえ本当に関係ないことしか思いつかないのであっても、関係ないことを結び付けようとすることで、アイデアが出ることもあるので、やりようによってはいいアイデアを思いつくきっかけになるかもしれません。
「課題に関係することを思いつくが、求めているようなアイデアではなかったり、くだらないアイデアしか思いつかない」というときは、目的に対する課題の設定がうまくできていないのが原因のひとつとして考えられます。
課題に対するアイデアは出るのに、そのアイデアで課題を達成してもそれが本来の目的には貢献しないので、良いアイデアではないと思ってしまうということです。
「思いついたことが課題とは関係ないことだと思って捨ててしまう」あるいは「思いついた事を発展させていない」ということも原因として考えられます。
思いついたことがそれひとつだけで課題を達成するということは、めったにないことです。
思いついたアイデアを改良したり、他のアイデアと組み合わせて、徐々によいアイデアに発展させていくことが良いアイデアを出すことにもなるのだと思います。
意識という言葉は色々な意味で使われていますが、第一考舎では「自分が考えていることや、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚の五感で受け取る外部の情報や、自分が手足などの体を動かしていることに自分が気付いている状態」を意識があるとしています。
それに対して、それらに自分が気付いていない場合を無意識の状態であるとしています。
たとえば人差し指を動かそうと意識して指を動かしたとします。これは意識がある状態で指を動かしていることになります。
しかしこの時、指を動かすには色々な筋肉を巧妙に動かしているはずですが、そのような細かいことには全く気付いていないので、この細かい動作は無意識の状態で行われているというふうに捉えます。
この場合、前出の『「考え」は、脳の神経ネットワークで作られているらしい』の項で書いたように、べンジャミン・リベットの実験によると、まず無意識のうちに動かそうという指令が脳から筋肉に出され、次に自分が動かそうとしていることを意識するようになる。その後に筋肉が実際に動いて人差し指が動き始めるそうです。
ということは、指を動かそうと思うのは意識に現れる前の無意識の中であり、その結果を後で意識していることになります。
ここで指を動かすような行動ではなく、何らかの課題に対してそれを解決するための「案を考え出す」場合について考察したのが、前出の『案を考えるのは無意識』です。
つまり、課題を意識すると、後は無意識のうちに頭の中で考えが作り上げられて、その結果が自分の考えとしてフッと浮かんで来たかのように意識できるようになるとしています。
無意識におこなうことは神経ネットワーク内の情報処理で行われているので、コンピュータが発達すれば出来るようになるかもしれないと私は想像しています。
しかし意識するというのはどのような仕組みで実現しているのでしょうか。
この意識の仕組みは、昔から様々な人々が解明しようとしていますが、未だに解明できていない謎なのです。
▼なぜ意識に興味を持ったか準備室の「考作を助ける道具」で書いたように、私の場合は、考作の主要部である「頭の中で考えを作り出す過程」を意識して行うことが出来ません。
つまり、課題を意識した後は、無意識のうちに頭の中で考えが作り上げられて、その結果が自分の考えとしてフッと浮かんで来たかのように意識できるようになるのです。
このことは他の人も同じであろうという根拠のない憶測のもとに、 意識と無意識の仕組みを活かして考作の方法を改良できないだろうかと考えたのが、意識の仕組みに興味を持った始まりです。
そもそも意識と無意識の役割分担はどのようになっているのかと考えた時に、「我々の全ての活動は無意識に行われていて、その活動の一部だけが意識できている」のか?、それとも「無意識と意識は別々に活動していて情報をやり取りしている」のか?という疑問が生じます。
この疑問は何冊かの書物を読むと、まだ解明できてない状況であり、「無意識の活動の一部だけが意識できている」と推測している人も、「無意識と意識は別々に活動していて情報をやり取りしている」と推測している人もいて、定説はありません。
これに関連して、意識は神経細胞のネットワークの活動で作られるのか、それ以外の場所で作られているのかという疑問も生じます。
意識が物理的に何処の活動で現れるのかということですが、もしかしたら物理的な場所ではないかもしれません。
我々が認識している世界とは別次元の、例えば精神世界のような場所で意識が作られているということも全く否定することはできません。
意識は何のためにあるのかという点についても、定説はありません。
前野隆司さんの「受動意識仮説」では、『意識という機能は無意識的情報処理を受け取って、あたかも自分が注意を向けて自分の自由意志でおこなったことであるかのように幻想体験し、その結果をエピソード記憶に転送するだけの、受動的・追従的な機能を担うシステムである。』とされていますが、この説については私は明確に否定もできないが、素直には賛成できないという感じです。(「受動意識仮説」について)
また「意識は人以外の生物にもあるのか?」という疑問もあります。
意識があることは本人にしか分からないので、自分以外に意識があることを確かめられる方法がないものかと思います。
他の人に「あなたに意識はありますか?」と質問した時に、「私には意識があります」と答えられても、その人に本当に意識があると確信を得ることはできません。
なぜなら、そのような答えはロボットやAIにも出来るからです。
まして我々の言葉が通じない動物や植物に意識があるかどうかは、肯定も否定も出来ません。
犬や猫が泣いたり笑ったり怒ったりという喜怒哀楽を表す仕草からは、明らかに彼らには意識が有るようにも思えますが、それを確かめる手段は今のところありません。
なぜなら、そのような仕草はロボットにも出来るからです。
前述の受動意識仮説では、エピソード記憶は生物の進化の過程でできた機能なので、昆虫などの単純な生物はエピソード記憶しないので「意識」を持たないのだそうです。
しかし、蟻の行列を見ていると仲間と話し合っているように見える場面もあり、もしかしたら蟻にも意識が有るのではないだろうかとも思えます。